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大阪地方裁判所 平成元年(ワ)1906号 判決 1992年10月26日

原告

中嶋俊作

ほか二名

被告

密山隆こと朴隆

主文

一  被告は、原告中嶋俊作に対し、金六〇九万三六〇〇円並びにうち金二九一万三六〇〇万円に対する昭和六一年三月一四日から及びうち金二六三万円に対する昭和六三年四月一二日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告中嶋健三に対し、金七七三万三一五円並びにうち金二九一万二八〇〇円に対する昭和六一年三月一四日から及びうち金四一一万七五一五円に対する昭和六三年三月一八日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告株式会社中嶋春秋堂に対し、金一六七八万五三二五円及びうち金一五二八万五三二五円に対する昭和六三年四月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用はこれを六分し、その五を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

六  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一請求の趣旨

一  被告は、原告中嶋俊作に対し、金七〇九八万四〇三三円並びにうち金二一二二万二〇三三円に対する昭和六一年三月一四日から及びうち金四四九四万二〇〇〇円に対する昭和六三年四月一二日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告中嶋健三に対し、金六六七四万五四九七円並びにうち金九二七万六七七七円に対する昭和六一年三月一四日から及びうち金五二九三万八七二〇円に対する昭和六三年三月一八日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告株式会社中嶋春秋堂に対し、金五一八一万一一一〇円及びうち金四八二九万一一一〇円に対する昭和六三年四月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(一) 日時 昭和六一年三月一四日午前八時四五分ころ

(二) 場所 大阪市都島区都島北通二丁目二五番四号付近交差点

(三) 加害車 被告が運転していた普通乗用自動車(神戸三三た九八六号、以下「加害車」という。)

(四) 被害車 原告中嶋健三(以下「原告健三」という。)が運転し、原告中嶋俊作(以下「原告俊作」という。)が同乗していた普通乗用自動車(なにわ五五に一七五六号、以下「被害車」という。)

(五) 事故態様 被害車が、信号機の青色表示に従い、同交差点に進入した際、加害車が赤信号を無視して同交差点に進入し被害車に衝突した。

2  原告俊作の受傷、治療経過及び後遺障害

(一) 受傷

本件事故により、原告俊作は、第二頸椎骨折、左頬骨骨折、打撲傷等の傷害を負つた。

(二) 治療経過

原告俊作は、本件事故による受傷の治療のため、つぎの通り、入通院した。

(1) 明生病院入院 昭和六一年三月一四日から同月一七日まで

(2) 大阪市大病院入院 同日から同年五月五日まで

(3) ツジ病院入院 同月六日から同年九月八日まで

(4) ツジ病院通院 同月九日から平成元年八月一〇日まで

(三) 後遺障害

原告俊作は、

(1) 右腕のしびれにより右手の使用が著しく困難になると共に、右肩及び左手の知覚障害が存在し(自動車損害賠償保障法〔以下「自賠法」という。〕施行令別表第九級に該当する。)、

(2) 神経障害としての頸部痛、後頭部痛、両下肢の疼痛がある(同表第一二級に該当する。)

という後遺障害を残し、昭和六三年四月一一日に、症状固定に至つた。上肢の障害は、頸椎の一部に骨折が生じるような強い衝撃が加えられた場合に発症するものであり、本件事故によるものである。

3  原告俊作の損害

(一) 付添看護費 三一万五〇〇〇円

昭和六一年七月一日から同年九月八日までの七〇日間に、一日当たり四五〇〇円の付添看護費を必要とした。

(二) 入院雑費 二三万二七〇〇円

前記入院期間(一七九日間)中一日当たり一三〇〇円の入院雑費が必要であつた。

(三) 医師看護婦謝礼 一〇万円

(四) 休業損害 一七七〇万五三三三円

原告俊作は、本件事故当時、職業訓練指導員の免許を有する表具師として、原告株式会社中嶋春秋堂(以下「原告会社」という。)において、表具及び表装の仕事に従事していたが、本件事故による受傷のため、昭和六一年三月一四日から昭和六三年四月一一日まで休業せざるを得なかつた。

その間の休業損害は右を下回らない。

(五) 後遺障害による逸失利益 四一〇七万二〇〇〇円

原告俊作は、本件事故による右手筋力低下及び左手筋電図異常の後遺障害のため、手先に神経を集中させ、かつ、全身を用いて行う極めて繊細な技術である表装の仕事が全くできなくなつた。

これによる逸失利益は、年額八〇〇万円を下らず、原告俊作は症状固定時六七歳であり、少なくともさらに六年間就労可能であつたから、後遺障害による逸失利益合計は、右を下回らない。

(六) 慰謝料

(1) 傷害慰謝料 二八六万九〇〇〇円

(2) 後遺障害慰謝料 六〇四万円

(七) 弁護士費用 四八二万円

4  原告健三の受傷、治療経過及び後遺障害

(一) 受傷

本件事故により、原告健三は、第二頸椎骨折、第四頸椎前方脱臼、左肘頭骨折、右腓骨頭骨折等の傷害を受けた。

(二) 治療経過

原告健三は、本件事故による受傷の治療のため、つぎの通り、入通院した。

(1) 明生病院入院 昭和六一年三月一四日から同月一五日まで

(2) 大阪市大病院入院 同日から同年八月四日まで

(3) 大阪市大病院通院 同月五日より昭和六三年三月一八日まで

(三) 後遺障害

原告健三は、

(1) 頸椎の後弯変形があり、

(2) 頸椎の運動障害がある

という後遺障害を残し(全体として自賠法施行令別表第八級に該当する。)、昭和六三年三月一七日に、症状固定に至つた。

5  原告健三の損害

(一) 付添看護費 一五万七五〇〇円

昭和六一年七月一日から同年八月四日までの三五日間に、一日当たり四五〇〇円の付添看護費を必要とした。

(二) 入院雑費 一八万八五〇〇円

前記入院期間(一四五日間)中一日当たり一三〇〇円の入院雑費が必要であつた。

(三) 休業損害 五八三万五七七七円

原告健三は、本件事故当時、原告会社で就労していたところ、本件事故による受傷のため、昭和六一年三月一四日から昭和六三年三月一七日までの間、休業せざるを得なかつた。その間の休業損害は、右を下回らない。

(四) 逸失利益 五一二三万八七二〇円

原告健三は、本件事故による後遺障害のため、その労働能力を四五パーセント失つたところ(特に、頸椎の運動制限のため、自動車運転中の後方確認等が困難となり、スポーツができない等の制約を受けている。)、昭和六一年賃金センサス、産業計・企業規模計・大卒の男子労働者の平均賃金五二六万一〇〇〇円を基礎として(本件事故前の原告健三の年収は、二七三万三〇〇〇円であつたが、これは、同人が就労して二年目の給与によるものであり、これが同人のその後の収入を示す基準にはなり得ない。)、後遺障害による逸失利益をホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息控除をして算出すると、右のとおりとなる。

(五) 慰謝料

(1) 傷害慰謝料 二六〇万九〇〇〇円

(2) 後遺障害慰謝料 六〇四万円

(六) その他 四八万六〇〇〇円

原告健三は、昭和六一年四月一三日、大阪市で余巧如(当時台湾籍)と結婚式を挙げる予定であつた。

そのため、余巧如は来日してアパートを借りており、また、同人の妹の余瑪如は、米国ロサンゼルス在住のところ、結婚式出席のため、同年三月初めに来日していた。

しかし、本件事故のため、結婚式は延期され、同年一一月二四日に結婚式が行われたため、余瑪如は、一旦ロサンゼルスに戻らざるを得なくなり、原告健三は、成田ロサンゼルス間往復の費用一五万円を支払つた。また、結婚式が延期されたため、同居が遅れ、余巧如のアパート代月額四万八〇〇〇円を同年五月分から一一月分まで余計に支払わなければならなくなり、これを原告健三が負担した。

(七) 弁護士費用 四五三万円

6  原告会社の損害

(一) 報酬・給料支払分 二三五四万一一一〇円

原告会社には、原告俊作及び原告健三が本件事故により休業している間、同原告らの生活を保障するため、従前どおりの報酬・給料を支払つた。その金額は、原告俊作に対して合計一七七〇万五三三三円、原告健三に対して合計五八三万五七七七円である。

したがつて、原告会社は、本件事故により右の合計額の損害を被つた。

(二) 固有損害 二四七五万円

原告俊作は、原告会社の代表取締役であると共に、原告会社表装部門の業務に従事してきた。本件事故当時、原告会社の表装部門には、原告俊作の他、四名の従業員がいたが、高価な表装に関しては原告俊作が行つており、したがつて、原告会社の表装部門における売上げの多くは、原告俊作の技術に負つていた。

本件事故後、原告会社表装部門の純利益は、少なくとも、一年当たり一六五万円減少しており、本件事故に遭わなければ、原告俊作は本件事故時からさらに一五年程度の就労は可能であつたから、原告会社は、本件事故により原告俊作が表装業務に従事できなくなったことにより、少なくとも二四七五万円を下回らない損害を被つた。

(三) 弁護士費用 三五二万円

7  よつて、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償請求として、原告俊作は、以上の損害合計から自動車損害賠償責任保険から支払のあつた二一七万円を控除した金七〇九八万四〇三三円並びにうち傷害に伴う前記3(一)ないし(四)及び(六)(1)の損害合計金二一二二万二〇三三円に対する昭和六一年三月一四日から及びうち後遺障害に伴う前記(五)及び(六)(2)の損害額合計から右填補金を控除した金四四九四万二〇〇〇円に対する昭和六三年四月一二日から各支払済みまで年五分の割合による金員の支払を、原告健三は、以上の損害合計から自動車損害賠償責任保険から支払のあつた四三四万円を控除した金六六七四万五四九七円並びにうち傷害に伴う前記5(一)ないし(三)、(五)(1)及び(六)の損害合計金九二七万六七七七円に対する昭和六一年三月一八日から及びうち後遺障害に伴う前記5(四)及び(五)(2)の損害額合計から右填補金を控除した金五二九三万八七二〇円に対する昭和六三年三月一八日から各支払済みまで年五分の割合による金員の支払を、原告会社は、金五一八一万一一一〇円及びうち弁護士費用相当損害金を控除した金四八二九万一一一〇円に対する昭和六三年四月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  同2ないし同6の事実はいずれも知らない。

(二)  原告俊作及び原告健三は、原告会社から休業中も、報酬ないし給与を得ていたのであるから、休業損害は生じていない。

(三)  原告俊作の後遺障害は、自倍法施行令別表第一二級一二号に該当する。

原告俊作は、上下肢の症状も本件事故によるものと主張するが、第二頸椎歯状突起骨折があつても、同頸椎付近の神経痕の支配領域は、上下肢とは全く異なるので、同骨折による影響は考えられない。

仮に、本件事故により上肢に何らかの知覚異常ないし筋力低下が生じたとしても、その程度は、同別表第一二級一二号の程度に留まるものである。

原告俊作主張の同別表第九級一〇号は、てんかん発作やめまい発作の発現の可能性があるため、高所作業や自動車運転が危険であると認められるような高度な制限をいうのが一般であつて、知覚鈍麻やしびれ感によるものは、到底これには含まれない。

また、原告俊作は、原告会社の代表取締役であつて、その役員報酬は、会社の業績を勘案して妻と相談して決めており、現在に至るまで本件事故前と変わらずに得ているというのであるから、原告会社には、本件事故の前後を通じて相応の利益が存し、原告俊作は現実にそれだけの収入を得ているものというべきであり、また、収入の内の労働の対価部分は僅少であるものというべきであつて、同人には逸失利益は生じていない。

(四)  原告健三の後遺障害は、右別表第一〇級にも該当しない程度のものである。脊柱の運動障害は、正常可動範囲の二分の一以内であり、実際上何らかの不都合があるのは、左側への回旋運動のみであり、脊柱の他の部分の回旋運動と併せることにより、これによる不都合は少ないものと考えられる。また、自倍責保険が同別表第一二級五号に認定している骨盤骨からの骨採取による変形は、採取骨片が小さいので裸体になつても外観上変形が認められるものではなく、右認定は妥当ではない。

また、原告健三は、平成三年分の給与として、四〇〇万円を超える収入を得ており、これを本件事故以前の年収二七三万余円と比較すると、年月の経過を考慮しても、十分な収入増というべきであり、将来的にも、原告健三は、原告会社に就業を続けることはほぼ確実であるから、同人には逸失利益は生じていないものといわざるを得ない。

(五)  原告会社は、本件事故以前から、表装部門の売上が減少傾向にあり、本件事故後は、表装を扱つている本店での文具の売上が伸びており、加えて本町店での美術品等の売上が飛躍的に伸びている。したがつて、売上全体を見ると、本件事故のあつた年度は特段の減少があつたものとはいえず、翌年度からは、増加に転じている。仮に本件事故がなかつたとした場合、原告会社が、右売上に加え、従来の表装部門で得ていた利益を上乗せしうるか否かは不明である。

そして、企業損害の有無は、会社全体の事業活動の下で考察すべきであるから、この見地からは、原告会社に損害は生じていない。

また、原告俊作及び原告健三が休業した期間に原告会社が支払つた報酬あるいは給与についても、その労働の対価部分についてのみ損害と考えるべきである。

三  抗弁(損益相殺)

1  原告俊作は、自動車損害賠償責任保険より、二一七万円の支払を受けた。

2  原告健三は、同保険より、四三四万円の支払を受けた。

四  抗弁に対する認否

抗弁の事実は認める。

理由

一  事故の発生について

請求原因1(事故の発生)の事実は当事者間に争いがない。

右事実によれば、被告に過失のあることは明らかであるから、被告は、民法七〇九条に基づき、本件事故による損害の賠償責任を負う。

二  原告俊作の受傷、治療経過及び後遺障害

1  甲第三ないし第六号証、第二八ないし第三九号証(以下、枝番は省略する。)及び第四九号証によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告俊作は、昭和六一年三月一四日の本件事故の後、明生病院で診察を受け、頭部外傷、脳震盪症、頭部裂傷、左頬骨骨折の診断で、同日、同病院に入院し、同月一七日まで同病院で治療を受け、同病院を退院した。なお、原告俊作は、受傷直後、意識を失い、事故当時の記憶を喪失していた。

(二)  原告俊作は、同月一九日、大阪市立大学医学部附属病院に入院した。同病院における診断名は、第二頸椎骨折であつた。同病院では、安静を保ち、骨折部の癒合を待つという治療方針が取られ、二週間程度、頭部及び頸部の安静が保たれた。

その後、装具をした上で歩行訓練等がなされた。そして、骨折部の癒合が十分でないものの、原告俊作は、同年五月六日に同病院を退院した。

同病院退院時、原告俊作には、知覚障害はなく、握力は、右手が二八キログラム、左手が二六キログラムであった(甲第三七号証一枚目)。

(三)  原告俊作は、昭和六一年五月六日、ツヂ病院に転医し入院した。同病院での診断名は、軸椎歯状突起骨折、左膝打撲傷であつた。また、同病院入院時、原告俊作には、四肢麻痺、運動麻痺はなく、知覚も良好であつた。

同病院には、同年九月八日まで入院しており、退院まで頸部痛が継続し、時に左膝痛も認められた。同年八月一日撮影のCT検査で、骨折部の癒合が認められたが、まだ、その程度は弱いものであった。

同病院退院後、同年九月九日からは通院治療に切り替えられた。通院後も、頸部痛、左膝痛等は続いた。

(四)  原告俊作は、ツヂ病院での治療を受けつつも、大阪市立大学医学部附属病院に通院した(昭和六一年五月七日から昭和六三年四月一一日までの間に実通院日数七五日)。

同病院通院中の昭和六二年一月当時にも、原告俊作には神経学的症状は認められず、知覚も正常であつた(甲第三五号証二枚目)。

そして、原告俊作は、同病院において、昭和六三年四月一一日に症状固定の診断を受けた。また、ツヂ病院においても、実通院日数二八六日を経て、昭和六三年四月一二日に症状固定の診断を受けた。

(五)  大阪市立大学医学部附属病院においては、原告俊作の症状固定診断に際し、自覚症状として、両下肢大腿部より遠位の知覚障害、右手筋力低下、後頭部痛、左側頸部痛、頸部重厚感があり、膝蓋腱反射及びアキレス腱反射が亢進し、筋電図上、上肢三頭筋以下に巨大棘波が認められるとの他覚症状が残存し、技巧的な上肢の使用は困難であると診断された。

また、ツヂ病院では、症状固定診断時、後頭部から後頸部にかけての疼痛及び鈍重感、左膝の疼痛が認められていた。

(六)  原告俊作の治療に当たつていた医師の一人である大阪市立大学医学部附属病院整形外科の松田英雄医師は、原告ら訴訟代理人の求めに応じ、原告俊作の上肢等の症状について、同人の握力が、右手(利き手)一〇キログラム、左手一六キログラムであり、下肢腱反射の亢進と左頸部から上肢にかけての知覚鈍麻が存在するものと認めた上で、次のとおりの意見を述べている。

(1) 原告俊作の第二頸椎骨折と下肢腱反射の亢進及び左頸部から上肢にかけての知覚鈍麻の症状との因果関係は乏しいが、本件事故によつて加えられた外力を考えると、同症状は、本件事故によつて生じたものと思われる。

(2) 頸椎に過度の運動が強制された場合、骨傷を残さず、エツクス線上では判明しない状態で、脊髄や神経根を障害する可能性がある。

(3) 原告俊作の右症状は、脊髄障害によるものであるが、どのレベルの障害かは明らかではない。

ただし、最近のMRI検査によると、第四第五頸椎レベルで脊髄が少し細くなり、後方で黄色靱帯が他のレベルよりも前方に突出していることが認められる。もし、本件事故で過伸展も伴つたものとしたならば、このレベルで脊髄が障害されたものと思われる。

(七)  自動車保険料率算定会は、本件事故による俊作の後遺障害について、同会顧問医のレントゲン写真上第二頸椎の骨折は認められ、後頭部から後頸部の神経症状は評価してよいとの意見を微した上、頸部受傷後の後頭部痛及び後頸部痛について自倍法施行令別表第一二級一二号に該当するものと認定した。

2  以上によれば、原告俊作は、本件事故による傷害のため、後頭部から後頸部にかけての頑固な神経症状を後遺障害として残したものと認められるものの、右上肢の知覚障害及び使用困難の症状は、本件事故後、半年以上経過した昭和六二年一月当時にも発現しておらず、その後に至つて発現したものと認められるから、本件事故によるものと認めることはできない(松田医師の意見によれば、右症状が本件事故によつても発現する可能性は認めることができるが、右認定の右症状発現経過に照らし、さらに進んで、積極的に本件事故との因果関係を認めるに足りる証拠はない。)。

三  原告俊作の損害

1  付添看護費

昭和六一年七月一日から同年九月八日までの入院期間中、原告俊作が付添看護を受けたことについては、証拠がない。

2  入院雑費 二一万三六〇〇円

前期認定の治療経過によれば、原告俊作は、本件事故による受傷の治療のために合計一七八日間の入院が必要であり、その間に一日当たり一二〇〇円の雑費を必要としたものと推認される。

3  医師看護婦謝礼

原告俊作が、医師及び看護婦に謝礼を支払つたことについては、証拠がない。

4  休業損害

弁論の全趣旨によれば、本件事故後症状固定まで、原告俊作は、原告会社から従前どおりの収入を得ていたことを認めることができるから、本件事故による休業損害はないものというべきである。

5  後遺障害による逸失利益

原告俊作本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告俊作は、大正八年一〇月一五日生の男子で、昭和九年に表具師に弟子入りし、以来、表具・表装の仕事に携わつてきたこと、昭和三二年に原告会社を設立し、以来、代表取締役を勤めていること、原告会社からの自らの報酬額は、妻と相談の上原告俊作が決めており、本件事故後五年が経過した平成三年七月の時点においても、事故以前と比べ収入の減少はなかつたことが認められる。

これらによれば、本件事故による傷害の症状固定時である昭和六三年四月には、原告俊作は、既に六七歳という高齢であつて、残された就労可能年数もせいぜい数年というべきところ、その間に収入が減少する蓋然性は少ないものと考えられ、他に本件事故による後遺傷害のため経済的不利益を受ける特段の事情も認められないから、本件事故の後遺傷害による逸失利益は認めることができない。

ただし、以上認定の事実によれば、本件事故による前記後遺障害が残つたため、逸失利益という形では捉えられないものの、原告俊作の実生活上の不都合が生じていることは推認するに難くないので、この事情は、原告俊作の慰謝料算定において特に斟酌するべきである。

6  慰謝料 合計七五〇万円

前記認定の原告俊作の受傷部位及び程度、治療経過、後遺傷害の内容、程度及びこれが同人に与えた前記の影響、年齢、本件事故の態様(甲第一九ないし第二一号証によつて認められる、被告が赤信号もかかわらずかなりの高速度で交差点に進入した結果本件事故に至つたこと、本件事故直後被告が原告俊作らを救護することなく現場から逃走したこと等を含む。)、その他弁論に現れた諸事情を総合考慮すれば、本件事故による精神的、肉体的苦痛に対する慰謝料としては、傷害分二七〇万円、後遺障害分四八〇万円とするのが相当である。

四  原告健三の受傷、治療経過等

甲第七ないし第九号証及び第四〇ないし第四四号証によれば、次の事実が認められる。

1  原告健三は、昭和六一年三月一四日の本件事故の後、明生病院で診察を受け、左尺骨骨折、右腓骨骨折、外傷性頸部症候群、全身打撲、頭部外傷Ⅱ型の診断を受け、同日、同病院に入院した。

2  原告健三は、同月一五日、同病院から大阪市立大学医学部附属病院に転医し、入院した。同病院における診断は、第二頸椎骨折、第四頸椎前方脱臼、左肘頭骨折、右腓骨頭骨折であつた。

原告健三は、同年八月四日まで同病院に入院し、同年五月七日には、頸椎前方固定術を受けた。

退院後、原告健三は、昭和六三年三月一七日までに実日数計一七日同病院に通院し、経過観察を受けた上、同日、第四頸椎前方脱臼、左肘頭骨折、右腓骨頭骨折、第二頸椎骨折の傷病名により、頸が曲がらない、後方を振り向けない、肩こりがするとの自覚症状、レントゲン写真上、第四及び第五頸椎は骨様に癒合し、後弯変形を呈している、第二頸椎の骨折は癒合し、頸の回旋制限の原因となつている、第一及び第二頸椎右側の椎間関節裂隙の狭小化がある、第四第五頸椎間の脱臼及び第二頸椎の骨折が認められ、頸椎部運動障害(前屈五〇度、後屈二〇度、右屈三五度、左屈三〇度、右回旋七五度、左回旋二〇度)があるとの他覚症状を残し、症状固定したものと診断された。

3  自動車保険料率算定会は、本件事故による原告健三の後遺障害について、同会顧問医の意見を微した上、頸椎の固定術による脊柱に変形を残し(自倍法施行令別表後遺障害等級表第一一級七号)、骨盤骨よりの骨採取により骨盤骨の変形あり(同表第一二級五号)として、全体として同表第一〇級に該当するものと認定した。

五  原告健三の損害

1  付添看護費

昭和六一年七月一日から同年八月四日までの入院期間中、原告健三が付添看護を受けたことについては、証拠がない。

2  入院雑費 一七万二八〇〇円

前記認定の治療経過によれば、原告健三は、本件事故による受傷の治療のために合計一四四日間の入院が必要であり、その間に一日当たり一二〇〇円の雑費を必要としたものと推認される。

3  休業損害

弁論の全趣旨によれば、本件事故後症状固定まで、原告健三は、原告会社から従前どおり給料を得ていたことを認めることができるから、本件事故による休業損害はないものというべきである。

4  後遺障害による逸失利益 二九五万七五一五円

以上認定の事実に加え、甲第五六号証並びに原告俊作及び原告健三各本人尋問の結果を総合すれば、原告健三は、昭和三六年四月三日生の健康な男子で、大学卒業後、原告会社に就職し、以来、文房具販売の責任者をしていること、本件事故前の昭和六〇年には、原告会社から合計二七三万三〇〇〇円の給与を得ていたこと、現在、原告会社の文房具販売に従事するのは、原告健三の他、アルバイト店員が数名おり、また、原告健三の妻が手伝うことがあること、原告健三は、文房具販売に従事し始めてから、文房具の外商に力を入れていること、本件事故以前は、商品の配達や注文を取るために原告健三が自動車を運転していたが、本件事故後、頸部の後遺症害のため、原告健三は自動車運転を避けており、そのため、外商業務にも多少の影響が出ていること、原告会社の文房具売上は本件事故以来減少してはおらず、平成三年中には、原告健三は四〇〇万円を越える給与を得たことが認められる。

これらによれば、原告健三は、本件事故の前後を通じて具体的な収入の減少は認められないものの、頸椎部が後弯変形を呈し、頸椎部運動障害があるという後遺障害は、その程度も軽微なものとはいえない上、文房具販売業務を行う上で実際上の支障も生じていることが認められるから、将来の収入に対してその増加の程度を減じる等の悪影響を及ぼす蓋然性は高いものということができ、原告健三の後遺障害の程度、本件事故前後の収入額、業務内容その他諸事情を考慮すると、原告健三は、本件事故による後遺障害のため、その労働能力を少なくとも五パーセント程度喪失したものと認めるのが相当である。

よつて、原告健三は、本件事故による後遺障害のため、昭和六三年三月一七日の症状固定後六七歳までの四〇年間にわたる就労可能期間中、少なくとも、平均して、一年当たり本件事故前の年収である二七三万三〇〇〇円の五パーセントを喪失したものと考えられるから、これによる逸失利益の症状固定時の現価を、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算出すると、次のとおり二九五万七五一五円となる。

(算式)2,733,000×0.05×21.643=2,957,515(小数点以下切り捨て、以下同じ。)

5  慰謝料 合計八〇〇万円

前記認定の原告健三の受傷部位及び程度、治療経過、後遺障害の内容及び程度、年齢、本件事故の態様(前記のとおりの、被告が赤信号にもかかわらずかなりの高速度で交差点に進入した結果本件事故に至つたこと、本件事故後、被告が原告健三らを救護することなく現場から逃走したこと等を含む。)、本件事故のため予定していた結婚式が遅れたことその他弁論に現れた諸事情を総合考慮すれば、本件事故による精神的、肉体的苦痛に対する慰謝料としては、傷害分二五〇万円、後遺障害分五五〇万円とするのが相当である。

6  その他の損害

(一)  航空券代金

余瑪如の成田ロサンゼルス間往復の費用を、原告健三が支払つたことを認めるに足りる証拠はない。

(二)  アパート代 二四万円

甲第五三及び第五四号証、原告健三本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告健三は、昭和六一年四月に台湾人の余巧如と結婚する予定であつたこと、余巧如は昭和六〇年九月ころから、家賃共益費合わせて一か月当たり四万八〇〇〇円のアパートに入居し、原告健三と結婚の後は原告健三と同居する予定であつたこと、本件事故のため、原告健三と余巧如の結婚は延期され、そのため、同年五月分から同年九月分までのアパート代合計二四万円を原告健三が支払つたことを認めることができる。

これに加え、本件事故による原告健三の受傷の程度及び治療経過等を考慮すれば、右アパート代二四万円は本件事故と相当因果関係のあるものというべきである。

六  原告会社の損害

1  報酬・給料支払分 一五二八万五三二五円

(一)  原告俊作への報酬支払分

前記認定の事実に加え、甲第一三、第一八、第二四及び第五七号証、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告俊作は、原告会社の代表取締役をしていること、原告会社は、文房具等の販売、書画の表装及び販売、ついたて・屏風・額縁・掛軸等の製造、加工及び販売等を目的とする会社で、役員には、原告俊作の他、同人の妻中嶋英子及び長男中嶋平太郎が就任しており、表具・表装及び文房具販売は、原告会社の本店所在地でもある原告俊作の住所地で行い、書画、掛軸等の販売を船場本町にある本町店で行つていたこと、本件事故当時、表具・表装の業務には、原告俊作の他、長男の中嶋平太郎及び三人の従業員が従事し、文房具販売には、原告俊作の次男である原告健三の他、アルバイト店員二、三人が従事し、また、書画、掛軸等の販売には、中嶋英子の他、時に一名程度の従業員がいることがあつたこと、原告会社の二八期(昭和五九年一〇月一日から昭和六〇年九月三〇日まで)の損益計算書による同期の文房具の純売上高は一九〇〇万円余り、本町店での書画等の売上高は二八〇〇万円余り、表具・表装業務の売上高は八三〇〇万円余り、文房具仕入高は一四〇〇万円余り、その余の仕入高は三八〇〇万円余り、営業利益は四三五万円余りであつたこと、同期の表具・表装従事者の給与は、中嶋平太郎が三六〇万円であり、その他の従業員のうち最も高額の者が一八九万二六〇〇円であつたこと、原告俊作は、表具・表装の作業を週四、五日程度一日八時間程度は平均して行つており、代表取締役報酬として、原告会社から、二八期に七八二万九八〇〇円、二九期(昭和六〇年一〇月一日から昭和六一年九月三〇日まで)に八〇〇万六二五〇円、三〇期(昭和六一年一〇月一日から昭和六二年九月三〇日まで)に八一二万八五〇〇円、三一期(昭和六二年一〇月一日から昭和六三年九月三〇日まで)に八二五万六〇〇〇円を得たこと、原告俊作が自ら手掛けた作業は、同人自身の概活的な意見によれば、表具・表装の売上の三、四割程度を占めるという程度であつたことを認めることができる。

以上の事実に加え、原告俊作の表具・表装業務についての熟練度、表具・表装業務に全く従事しなくなつた現在に至るまで原告俊作の報酬は減つていないことその他本件弁論に現れた諸事情を考慮すると、本件事故当時の原告俊作の年収七八二万九八〇〇円のすべてが同人の労働の対価とは考えられないものの、そのうちの六割程度は本件事故当時の同人の労働の対価と認めるのが相当であるから、本件事故の日から前記認定の本件事故による傷害の症状固定日である昭和六三年四月一一日までの休業期間中の原告俊作の休業損害相当額は、次のとおり九七八万一八八七円となる。

(算式)7,829,800×0.6÷365×760=9,781,887

よつて、本件事故による原告俊作の休業期間中に、原告会社が原告俊作に支払つた報酬のうち九七八万一八八七円は、本件事故により原告会社に生じた損害というべきである。

(二)  原告健三への給与支払分

前記認定の事実のとおり、原告健三は、本件事故前の昭和六〇年には、原告会社から合計二七三万三〇〇〇円の給与を得ていたが、本件事故による受傷のため、本件事故当日の昭和六一年三月一四日から症状固定した昭和六三年三月一七日までの七三五日間休業し、その間も、原告会社は原告健三に対し、右を上回る金額の給与支給を行つていた。

これらによれば、原告会社は、原告健三の休業損害相当分を支払い、その分だけ、本件事故により損害を受けたものというべきであり、原告健三の右期間の休業損害相当額は次のとおり五五〇万三四三八円となるから、原告健三の休業損害相当分に相当する原告会社の損害も同様となる。

(算式)2,733,000÷365×735=5,503,438

2  固有損害

(一)  甲第一一ないし第一六、第一八、第五〇及び第五一号証並びに原告俊作及び原告健三各本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告会社においては、損益計算書上、二六期(昭和五七年一〇月一日から昭和五八年九月三〇日まで)には五七九万七九五一円、二七期(昭和五八年一〇月一日から昭和五九年九月三〇日まで)には一四万二〇二円、二八期(昭和五九年一〇月一日から昭和六〇年九月三〇日まで)には四三五万八六円の各営業利益が計上され、二九期(昭和六〇年一〇月一日から昭和六一年九月三〇日まで)には営業損失が三六一万七〇九三円計上されたものの、その後、三〇期(昭和六一年一〇月一日から昭和六二年九月三〇日まで)は一〇六万九七二一円、三一期(昭和六二年一〇月一日から昭和六三年九月三〇日まで)は九六四万六三〇三円、三二期(昭和六三年一〇月一日から平成元年九月三〇日まで)は四九七万五九二五円、三三期(平成元年一〇月一日から平成二年九月三〇日まで)は六二七万二一四二円の各営業利益が計上された。

(2) また、損益計算書上、軸売上(二九期からは表装売上)が、二六期には九三〇〇万円余り、二七期には八六〇〇万円余り、二八期には八三〇〇万円余り、二九期には六五〇〇万円余り、三〇期には四七〇〇万円余り、三一期には二八〇〇万円余りであつた。

(3) 原告俊作及び中嶋平太郎を除く表具・表装業務従事者は、二六期には九名、二七期には八名、二八期には四名、二九期には三名、三〇期には二名、三一期には一名であり、従業員の多くは老齢者であり、減少分は、年齢を理由にした退職者の数である。そして、表具・表装業界においては、近年業者が増えたため過当競争になつてきており、原告会社の売上減少はその影響が大きい。

(二)  これらによれば、原告会社の営業利益は、二九期には赤字であつたものの、その他の期においては黒字であり、本件事故の発生した二九期についても、前記認定の本件事故による報酬・給料支払分の損害を除外すれば、黒字であつたものと考えられ、また、各期の営業利益を比較しても一定の法則性が認められるものではないから、原告会社の営業利益(損失)の値から、右損害の他に原告会社に損害が発生したものと認めることはできない。

そして、原告会社を分割し、表具・表装の業務のみを一部門として独立に考えることの当否はさておき、あえて表具・表装業務のみ独立させて検討しても、同業務従事者が高齢化しその人数も大幅に減少している上に(原告俊作は、ホツトプレスという機械を購入することによつて人手不足に対応した旨述べるが、これのみで右のとおりの大幅な労働力の低下に対応できたものとは考えられない。)、業界の情勢は過当競争になつており、同業務による売上は本件事故発生以前から減少傾向にあつたことが認められるから、本件事故がなければ、同業務において従前の売上高あるいは営業利益を維持できたものということはできず、また、本件事故がなかつた場合における減少の度合も不明であるから、二九期以降の売上の減少が本件事故によるものと認めることはできず、他に本件事故により原告会社に独自の逸失利益が発生したものと認めるに足りる証拠はない(甲第一七、第四五及び第四六号証には、原告会社の損益計算書の数値等を表具・表装業務のみ独立させて計算した上、営業利益が二九期以降大幅に減少したという趣旨の記載部分があるが、本来一つの企業体である原告会社の一業務を独立させて損益を計算する方法にはそもそも無理があり、右証拠上の数値が妥当なものかは不明である上、右のとおりの売上減少傾向を考慮すれば、二九期以降の営業利益減少が本件事故によるものと認めることはできない。また、原告俊作は、同人の受傷により原告会社が喪失した粗利益は一六八〇万円位である旨の供述をするが、同供述は、客観的な数値には基づいていない上、その前提となる売上高は、本件事故とは関係なく減少傾向にあつたのであるから、本件事故以降につき妥当するものではなく、右判断を左右するものではない。)。

(三)  よつて、その余の点を判断するまでもなく、原告会社の主張は理由がない。

七  損益相殺

原告俊作は、自動車損害賠償責任保険より二一七万円の支払を受け、原告健三は、同保険より四三四万円の支払を受けたことは、当事者間に争いがない。

よつて、これを以上の原告俊作の損害額合計七七一万三六〇〇円及び原告健三の損害額合計一一三七万三一五円からそれぞれ控除すると、原告俊作の残損害額は五五四万三六〇〇円、原告健三の残損害額は七〇三万三一五円となる。

八  弁護士費用

原告らが、本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人に委任したことは本件訴訟上明らかであり、本件事案の内容、審理経過、認容額などに照らすと、本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は、原告俊作について五五万円、原告健三について七〇万円、原告会社について一五〇万円とするのが相当である。

九  結論

以上の次第で、被告に体する本訴請求は、原告俊作が金六〇九万三六〇〇円並びにうち金二九一万三六〇〇円(入院雑費及び傷害慰謝料の損害額合計)に対する本件事故の日である昭和六一年三月一四日から及びうち金二六三万円(後遺障害慰謝料から損益相殺した残額)に対する原告俊作の症状固定日の翌日である昭和六三年四月一二日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告健三が金七七三万三一五円並びにうち金二九一万二八〇〇円(入院雑費、傷害慰謝料及びアパート代の損害額合計)に対する本件事故の日である昭和六一年三月一四日から及びうち金四一一万七五一五円(後遺障害による逸失利益及び後遺障害慰謝料の損害額合計から損益相殺した残額)に対する原告健三の症状固定日の翌日である昭和六三年三月一八日から各支払済みまで右と同じ割合による遅延損害金の支払を、原告会社が金一六七八万五三二五円及びうち弁護士費用相当分を除いた金一五二八万五三二五円に対する本件事故の日の後である昭和六三年四月一二日から支払済みまで右と同じ割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める限度で理由があるから、これらをいずれも認容し、その余は理由がないからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 林泰民 大沼洋一 小海隆則)

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